私たちの幼稚園はプロテスタント教会付属の幼稚園で、キリスト教保育をしています。キリスト教保育の大切さをこのコラムでお話したいと思います。
1 幼児保育や子育ての環境
子育ての環境について、統計数字から眺めると次のような状況です。
- 少子化は加速され、2000年に約119万人であった出生数は2009年に107万人を割り込んだ。そして2020年に生まれた子どもの数(出生数)は前年よりも2万人余り少ない84万835人となり、過去最少を更新した。(『厚生労働省・人口動態統計』より)
- ひとり親家庭が増加している。2000年には母子家庭59万7千、父子家庭8万3千であったが、2020年において母子世帯が123.2万世帯、父子世帯が18.7万世帯である。(『令和3年版厚生労働白書 』より)
- 子どもへの虐待の増加の問題がある。厚生労働省によれば、児童虐待相談件数が2000年度17,725件から、2019年度は、193,780件に増加している。(『令和3年版厚生労働白書 』より)
少子化については、政府によって対策が講じられつつありますが、今のところ効果は出ておらず、長期的な少子化の傾向にあります。
そして、上の統計数字の示す、ひとり親家庭や児童虐待の増加の背後には、親の育児不安や孤立、家庭の崩壊、相対的貧困化と、複数の要因があると思われます。しかしその根源は親や家族から十分に愛されなかった、あるは愛されることが必要なときに愛されなかったものが、今度は自分が大人になって現れる「愛の欠如」の問題ではないかと思います。
「ヨハネの手紙一 4章」には次の言葉があります。
8愛することのない者は神を知りません。神は愛だからです。
10私達が神を愛したのではなく、神が私達を愛して、私達の罪を償ういけにえとして、御子をお遣わしになりました。ここに愛があります。
18愛には恐れがない。完全な愛は恐れを締め出します。なぜなら、恐れには罰が伴い、恐れる者には愛が全うされていないからです。
19わたしが愛するのは、神がまずわたしたちを愛してくださったからです。
ヨハネの手紙一 4章
親から愛され、周囲から大切にされ、神の愛を知った子どもならば、自分を大切にし、そして人を愛することができるでしょう。しかしそうでない場合は、自分を大切にすることも人を愛することも困難かもしれません。 虐待を受け、恐れつつ育った子が大人になったら、自らが子どもを虐待する立場になるように連鎖する傾向がありそうです。(http://websv.ipss.go.jp/syoushika/bunken/data/pdf/19249404.pdf)
2 キリスト教保育の基本となる教理と日本文化
イエス・キリストの教えを集約すると、次の二つです。「マタイによる福音書22章」の中のイエスの言葉です。
37『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい』
39『隣人を自分のように愛しなさい』
マタイによる福音書22章
しかし日本はことさらに「愛」という言葉を使わない文化の中にあります。そのような心持ちは自然と生じ育まれる、という思想が根底にあるからです。禅の大家で哲学者の鈴木大拙が、1957年にメキシコで開催された禅仏教と精神分析学の研究会議での講演で、西洋と東洋の違いを、東洋の日本を代表する立場から解説しています。
江戸時代中期の俳人である松尾芭蕉は「よく見れば薺花咲く垣根かな」と詠いました。これへの鈴木大拙の解説を要約すると、薺の花は、見ているだけの客観的な対象ではなく、このとき、見ている自分自身が薺の花と一体となっていて分別はもはやない、と。続けて鈴木は次のように述べます。「芭蕉は“よく見れば”と言う。この“よく”という一語に置いて芭蕉はもはや外から花を見ている芭蕉ではなくなってしまっているのだ」。
これはキリスト教の精神からも解釈はできます。この「よく見れば」、という行為は、「知る」に繋がり、「知る」は「愛する」に繋がる、と考えられるからです。
しかしキリスト教の精神から解釈できるとしても、1で取り上げた「愛の欠如」の事態を踏まえると、幼児教育の現場ではこの東洋の思想に依拠するだけで充分とは決して言えないのではないでしょうか。
3 日本のキリスト教保育の歴史の概観
そこで、この日本のキリスト教保育の歴史を眺めたいと思います。日本の最初の幼稚園は、明治時代の啓蒙思想者であり、教育者、文学者であった中村正直が、東京女子師範学校に創設した幼稚園で、1876年のことです。中村正直は渡英以降キリスト教に興味を持ち、帰国後、宣教師らとの交流の中でキリスト教への理解を深め、1874年に洗礼を受けてキリスト信者になりました。 このように日本の幼児教育がキリスト教主義でスタートした意義を、日本の思想史学者の武田清子(1917~2018年)が1977年に小冊子『キリスト教保育』のなかで解説していますので引用します。
キリスト教信仰に基づくキリスト者による教育がはじめられたことの独自な意義と特質は、当時国家は国家の指導者である男子の教育に熱心であったのに対して、キリスト教は当時、教育対象にならなかった幼児・婦人・身体障がい者、非行少年、みよりのない子どもらを神に愛される人格として、彼らに対する教育を熱心に、そして開拓的に行ったことである。
『キリスト教保育2019年4月』、キリスト教保育連盟、2019年、歴史は水に流せない-人間形成に思う-、pp.7-14。
そのように始められた日本のキリスト教の人間形成の特徴を、武田は「神観」、「人間観」、「社会観」、「歴史観」の4点で説明しています。
「神観」
『キリスト教保育2019年4月』、p.9-10。
偶像崇拝のさかんだった多神教の日本において、キリスト教の神をどのように把握するかということはむずかしい問題である。
ただひとりの神のみを神とすることによって、地上のすべての権威から自由にされ、人間自身を含めて何ものをも絶対(神)としない「自由さ」がキリスト教神観の与えるものだと思う。
「人間観」
『キリスト教保育2019年4月』、p.10。
見えざる神に心の底まで見られていることを思い、その神の前に禁欲的自分を抑制する人格的な人間を形成するということは、外面的尊厳の倫理の尊ばれがちな日本の思想的、文化的土壌において、キリスト教教育が追わせられたもっとも大切な課題だと考えさせられる。
「社会観」
『キリスト教保育2019年4月』、p.10。
日本における社会的集団は、閉鎖的地域共同体的特質をもつ傾向が強く、その集団の中だけに通じる価値観に基づいた集団的行動様式によって動く社会である。自分のグループ、集団内の人間は尊ぶが、他の集団の人間は同じ原理で尊重しない。
「歴史観」
『キリスト教保育2019年4月』、p.11。
日本に深く根をおろしている歴史の見方は、過去は水に流してしまうことのできる非歴史的歴史観ともいえよう。キリスト教の歴史観は、歴史の主である神が歴史の中に突き破って入ってきたもうた。そして再び来たりたもう主を待ち望むという、終末論的歴史観である。
さらに武田は、この論説の後半で、日本人の「祈る心」について言及します。
日本人のふところにある「祈る心」、自己を超えた神に祈りをささげる信仰心を、キリストにつなぐことが大切である。それが「天皇」に向けられ、現人神としての天皇の名によって、国体明徴思想や超国家主義が軍人らによって提唱され、日本人だけでなく、アジアの隣邦諸民族までにも日本的神をおしつけ、神社参拝を強要し、日本の帝国主義の支配下においた歴史の事実は、私どもの記憶になまなましい。
『キリスト教保育2019年4月』、p.14。
上の各文章は1977年の『キリスト教保育』誌への寄稿文の再掲からの引用ですが、今日も色褪せず重要な指摘です。令和という元号を歩んでいるときに、キリスト教保育は日本で明治時代にどう始まったのか、そして昭和、平成へと続く歴史の中で、そのキリスト教保育が大切に守られて継続してきたことを再確認でき、さらにまた、これからもこの日本で依然として大切にすべきことがひしひしと伝ってくるからです。
4 結び
上述の4つの武田の「人間形成の特徴」のなかで最後に、日本人の「社会観」について取り上げます。今日、人の役に立ちその事柄をその人ができない事態の場合に、その人が感謝の気持ちをこめて「神(かみ)ってる」と言うことがあります。私自身もその言葉を知人から聞く経験をして、非常な違和感をもちました。なぜなら、人間は相対的な存在でしかなく、絶対的な存在ではありえないからです。この発言の根底にある考え方は自己絶対化、所属組織絶対化につながる発想ではないかと考えます。一方、日本人には懐に「祈る心」があると武田は述べており、園児の祈る姿を見る日常の幼稚園での経験から、なるほどと納得しました。そして、自己を超えた絶対的なものに祈る日本人の心を、イエス・キリストを通して絶対的な何か(神)につなぐ教育が幼児期になされることが今日の日本において非常に重要だと私は幼稚園の園長として、そしてひとりの牧師として考えています。
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