キリスト教保育の現場での、ふたつの実例をお話します。
1 神様は? イエス様は?
登園時に親子のお迎えを園長はしています。その朝の出来事です。
①「神様はどこにいるの?」、②「イエス様は神様なの?」と質問してくる園児がいました。
ひとつめの問いには「神様は僕達の目には見えないんだよ。でも、優しい目でいつも見ていてくれているよ」と答えると、納得してくれた様子でした。
ふたつめには、「そうだよ」「でも、昔、僕達と同じようにこの世で生きた人で、僕たちのお友だちになってくれた人なんだよ」と答えました。そうすると、「大切なお友だちがイエスさまなんだね、わかった」と素直に受け止めてくれました。
このやりとりから、目では見えない大切なことを、心で見ることが子どもにはできるんだと感じました。
2 天国って?
こちらは、ある園児のお母さんから聞いたことです。
よく一緒に遊んでくれた祖母が亡くなりました。お葬式で子は大泣きしました。その子は現在、園の年中のクラスですが、祖母が亡くなったのは、幼稚園に入園する前のことでした。
「僕もいつか死ぬかな、死んだら天国にいっておばあちゃんに会えるかな」とある夜、眠る前に涙を流しながら母親に言いました。
そして別の夜に「お母さんは何十年もしたら、おばあちゃんになって白髪になって、僕よりも先に死んでしまうんだね。でも、僕が年を取って死んだら、また天国でお母さんに会えるよね」と言いました。
眠りは死のメタファーかもしれません。ひとは就寝前に死について想いを巡らせるのかもしれません。
このお話をお母さんからうかがっていたときに、この4歳児には死への恐怖心があり、かつ「死が終わりではない」、というキリスト教にある命の捉え方をし始めていると思いました。
聖書の中の、イエス・キリストが子どもを祝福するときの言葉は次のとおりです。
「子どもたちをわたしたちのところに来させなさい。妨げてはならない。神の国は、このような者たちのものである。はっきり言っておく。子どものように、神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない。」そして、子ども達を抱き上げ、手を置いて祝福された。
マルコによる福音書10章13~16節
イエス・キリストがこのように告げている所以が、キリスト教保育の現場では見ることができます。
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