「真理はあなたたちを自由にする」(ヨハネによる福音書8章32節)
イエス様が逮捕され裁判にかけられたとき、ローマ総督のポンテオ・ピラトはイエス様に面と向かって問いを発しました。「真理とは何か」。この問いは大きな問いです。古代から問い続けられてきた、人間の永遠の問いと言ってもよいと思います。
たとえば、ギリシャ神話のスフィンクスの問いがあります。スフィンクスとは、ピラミッドの脇の、人の頭に獅子の体、鷲の翼をもった神獣です。
スフィンクスは、前を通る旅人になぞを問いかけて、答えられない者を食べてしまったそうです。
そのなぞは「朝に四脚、昼に二脚、夕に三脚になり、足の多いときほど弱いものは?」というものです。このなぞをオイディプスが解いて、スフィンクスは海に身を投げて死ぬのですが、なぞの答えは「人間」です。このなぞは人間についての真理を問い続けています。
ピラトも発した、「真理とは何か」という問い。その問いには、イエス様は何もお答えになりませんでした。答える代わりに、黙って十字架の死への道をお引き受けになりました。イエス様の言われる真理とは、言葉を超えた言葉である十字架の出来事に示されている神の真実です。イエス・キリストの十字架に現れた神の愛に、この私が愛されているという事実です。それは、たとえ私たちがとらえそこなっても、私たちをとらえて決して離さない神の真実です。「わたしは必ずあなたと共にいる」という真実です。
キリストにある真理は、人間が追求し、人間が捉えるものではなく、神が私たち人間を捉えてくださるところに現れているのです。
そして、この方に「とらえられている」ところに、「自由」があります。この方に「つながっている」ところに自由があるのです。
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